母親と連絡がついた。

地震原発の関係で、11日の夕方に一度だけ連絡がついた後、全く連絡がつかなかった福島市の母親から電話がきた。ちなみに、妹からは、2,3度メールがあった。

うちの状況は、結構すごいらしい。電気も水道もちゃんとしている。水道は地下水だからだし、電気は消防署の近くだからかも知れない。なので、ライフラインがしっかりしているらしい。ちょっと東の家はどっちも駄目って話を聞いても、どれだけ幸運なことか。家族の面だけを見れば、これまでの状態に関して安心した。
ただ、市内の状況は悲惨。停電は前提として、水道。市内の水道管が9箇所破裂しているみたいで、全家庭で水が供給されていない。給水車だけが頼りだそうな。これは思っていた以上にひどい。

そして、被爆関係。実家から100Mくらいのところに公民館があるんだけど、そこには被爆者が避難して来ている。でも、それも次期移動になるそうな。明日は市内も立入禁止になる可能性があるそうな。
あるとしたら、日中。ということは、父や妹は職場から、母と祖母は家からになる。それは、ばらばらであることを意味する。だから家族は、今日でお別れだって言っていたそうな。ドライ。俺のいた環境だけある。そして、泣ける。
母親も、最後に俺と話せて安心した、何かあなたに残せてあげられたらいいのに、と。全く、お人よし。自分が誰に似たのか分かるわ。


家族がどうなるか分からないし、もう会えるかも分からない。でも、ま、悔いはないさ。一生懸命生きられた。話せた。それだけでも、幸福なことだ。何もしてあげられないし、来てもらいたくないだろうし、俺には俺のやるべきことが、職業柄あるだろう。それをこなすことが、親を安心させることなんだと思って、明日からまた頑張ろうと思う。。



そんな感じ。
今思っていること、家族のこと、友達のこと、書きたくなった、そして忘れたくないからブログに書くことにした。以前の記事は全部削除。もうあのときの自分とは違うから。また違う風に書いていくので、気が向いたら読んでコメントして下さい。
以上、生存報告及び現状報告。